オリンピックの正式種目でもある「ケイリン」のこれまでの歴史
「競輪」と聞けば、日本人であれば誰でもそれがどのようなものを指しているのか理解することができます。
また、それが具体的にどのような競技なのかを知らなくても、その名前や映像などは誰もが知っているはずです。
一方で、「ケイリン」についてはおそらく多くの方がご存じでないはずです。
そこで、ここではまず「ケイリン」が一体何なのかを知るために、「ケイリン」の歴史を紹介していきたいと思います。
そもそも「ケイリン」とは
まずそもそもの疑問として、多くの方は「競輪とケイリンって同じじゃないの?」と思われるはずです。
しかし、この両者は決して同じ競技ではありません。
「競輪」については既にご存知の方も多いはずですから、ここでは「ケイリン」に限定して説明したいと思います。
「ケイリン」は、「競輪」を基に考案された自転車のトラックレースのことで、日本発祥の競技です。
バンクと呼ばれる板張りの走行路を5人から8人の選手で走り、ゴールした時点での順位を競います。
スタートしてからしばらくは、ペースメーカーと呼ばれる電動アシスト付自転車が先頭を走行して選手たちを先導します。
そして、このペースメーカーはスタート後しばらくはゆっくりと走行しますが徐々に速度を上げ、ゴールの手前で走路を離れます。
ペースメーカーが離れれば、その後は選手のみの走行となり、最終的にゴールした順で順位が決することになります。
「ケイリン」は現在、他の自転車競技と同じくオリンピックの正式種目に採用されています。
英語圏では「KEIRIN」の「E」が「イー」と発音されるため、「キーイリン」と発音されています。
「ケイリン」の歴史
「競輪」の歴史はとても古く、終戦直後にまで遡ります。
日本では明治以降、自転車競技が盛んに行われてきました。
その流れは大正、そして昭和になっても続き、対二次世界大戦の直前にも全国各地でいくつかの自転車競技(主としてロードレース)が行われていました。
皆さんさんご存知の通り、日本はその後敗戦を迎えるわけですが、自転車競技の人気が衰えることはありませんでした。
戦後、自転車競技が公営競技の一つとして認められ、1948年8月に自転車競技法が成立したのです。
そして、この年の11月には福岡県の小倉競輪場で初めて自転車競技のレースが開催されました。
従って、この1948年8月が日本における「競輪」のスタートであると言うことができます。
以上が「競輪」の歴史ですが、ここからは今回の本題である「ケイリン」の歴史について説明していきます。
まず言うまでもないことですが、「ケイリン」は上記の「競輪」の歴史の延長として出てきた競技です。
あるいは、「競輪」の到達点が「ケイリン」であると言っても間違いではないかもしれません。
オリンピックの種目としてケイリンが認められるのと平行して、従来の「競輪」も現在に至るまで発展し続けてきました。最近では長年のプロモーションの成果もあり、業界全体での売上も増えてきているようです。
競輪を楽しむファンが増えたことにより、予想や情報を売り出す「競輪予想サイト」といったものも増えてきました。基本的には予想の手助けをしてくれるありがたい存在なのですが・・中には詐欺に近いことを行う悪質なサイトも存在します。騙されないためには、予めその手口や特徴を把握しておく必要があるでしょう。
「ケイリン」の誕生は、今から40年以上前のある出来事にまで遡ります。
1977年、この年の世界自転車選手権のスプリントに中野浩一氏が出場し、世界選手権では日本人初となる優勝を果たしました。
これは当時としては一世一代の快挙で、国内外で大きく取り上げられるニュースとなりました。
そしてこの快挙を受けて、日本自転車競技連盟(日本車連)が国際自転車競技連合(UCI)に対して同大会での「競輪」の開催を打診しました。
UCIはこの打診に対して一時は採用を決定しましたが、日本車連の提案する内容が日本の「競輪」と比べてあまりにも異なったルールであったことから、「競輪」という名称では登録できないということになりました。
しかし、日本車連もそれでは困るということで、ルールはそのままで名称だけを変更して登録することになりました。
それが今日の「ケイリン」であり「KEIRIN」です。
こうして晴れて、日本の「競輪」は世界の「ケイリン」として認められたということになったのです。
ただ、UCIに認められてからすぐにオリンピックの競技に採用されたというわけではありません。
「ケイリン」は1980年の世界選手権から正式な競技として認められたのですが、オリンピックの正式種目となったのは2000年に開催されたシドニーオリンピックからです。
ちなみに、日本発祥のスポーツがオリンピックの正式競技に認められたのは、柔道に続いて2種目目です。
尚、2000年に認められたのは男子の「ケイリン」で、女子の「ケイリン」は2012年のロンドンオリンピックから正式採用となりました。